大槻晃士先生より、またまた貴重な情報をいただきました。
なんとJ.S.Bach の骨と思われるものが画像で残されているというのです。これにより手の大きさがおおよそ分かるということで、バッハが現代人に比べてもかなり大きな手の持ち主だったことが推察され、これほど大きな手を持つ人には、スパッラほどの小さなチェロでなくとも、チェロを横持ちで十分弾けたのでは??という推察もできるという話です。
詳しい記事は2019年9月号のナショナル・ジオグラフィック誌に掲載されているようですが、リンクを下に貼っておきます。
ドイツの解剖学者であり、演奏家でもあるAndreas Otte氏が、1895年に解剖学者のWilhelm His氏が撮ったというバッハの遺骨と考えられる骨格の写真から、手の大きさを計算したという記事です。
その結果、手首から指先までで約215mmもあったというのです。
さらに手を開けば、約26cmもの広さがあっただろうということで、鍵盤の12音を捕えられただろうということです。
確かにこれだけ大きかったとすれば、スパッラなどなくともバッハ1人であればピッコロ・チェロを横持ちで、弾いていた可能性も十分出てきます。
この辺りは、実際にピッコロ・チェロを弾く方に近々お会いし、確かめてみたいところです。
ただ、バッハ1人はいいとしても、きっと周りの人からは「先生は手が大きいからいいですよね」と言われたり、「バッハぐらい手が大きければなあ」と思われていたのではないかということも想像してしまいます(笑)
一方で、もし当時バッハしか弾けないような曲(無伴奏の第6番)があったとしたら、おそらくは清書する必要が生じなかった…インスピレーションに従って曲を書いたまではよかったけど、自分以外誰も弾けない…などという事態が生じていたことも妄想できます。
いずれにせよ、これらを総合してもまだなお、バッハの周りにviola pomposaなるものが存在したということを示す幾つもの文献をどう説明すべきかということは残されており、スパッラ(pomposa)の存在に反論する証左には足らないのです。
そのため、バッハの周りにあったviola pomposaと、後の世代のテレマンなどが用いたviola pomposa はやはり別のものであったということは十分考えられるかもしれないというのが、大槻先生やバディアロフさんの考えであり、私も感じるところです。
それにしてもバッハさん、大き過ぎますね。さすが大バッハ。