革新者か、逸脱者か

(写真:Antonio Stradivari, 1717 cello, ‘Bonamy Dobrée’ ‘Suggia’ のミドルバウツ)

今日は東京ストラディヴァリフェスティバル2018に足を運んできました。

東京に21台のストラディヴァリの楽器が集まるという前代未聞の大展示会でした。平日にも関わらず大勢の人が見学に訪れていました。

天才と当時から呼ばれたであろうストラディヴァリの楽器群を見ながら、ストラディヴァリが「革新者」であったのか、文化の「逸脱者」であったのかということを考えていました。

ストラディヴァリは、最高の弦楽器製作家であると言われますが、実は彼をピークとして、古クレモナの弦楽器製作の文化は衰退に向かってしまいます。

彼の一世代前の名人であったニコロ・アマティが多くの弟子たちを育てたこととは対照的です。なぜストラディヴァリは次の世代を育てられなかったのでしょうか。

展示会でもニコロはストラディヴァリの師匠として紹介されていましたが、果たして本当にそうだったのか?確証はまだ十分にあるとは言えません。

ストラディヴァリとアマティの製作方法の違いなども見られます。小さな田舎町で隣近所であった以上、影響がお互いになかったということはあり得ませんが、アマティ一族が引き継いできた伝統をストラディヴァリは、新しいファッションを作るかのように踏み越えていきます。また、製作方法の面からアマティではなく、ルジェリに習ったのではと考える人も少なからずいます。

私はストラディヴァリは天才的に器用な職人であり、見よう見まねでアマティの楽器を写し取ってしまったのではないかという気が最近はしています。

天才の仕事はそれにのみでは文化ではないので、次の世代に受け継がれることなく、結果的にクレモナにおける弦楽器の製作文化を衰退させてしまったのではないかという推察です。クレモナが当時ミラノなどに経済的な地位を奪われていったことだけでは、弦楽器製作の衰退は説明ができないようにも思うのです。

このことはストラディヴァリがアマティ一族が踏襲してきたプロポーションの法則を無視し始めたことからも見てとれます。ストラディヴァリの楽器を見ていると天才的な美しさと構造の合理性があると同時に、この人はアマティからプロポーションの原則を習わなかったのではないかという気もしてきます。

習わなかったので、初期のアマティの模倣から始まり、徐々にロングパターンと言われる細長い楽器を作る実験をはじめ、やがて独自のモデルを作っていったという推理です。あるいは最初は型ぐらいは借りたかもしれません。

アマティまでがルネッサンス、ストラディヴァリからはまさにバロックとも、多少乱暴に言えばいえるかもしれません。

このようなことは私1人の妄想に過ぎず、他で聞いたことは正直ありませんが(もしもどこかに同じような見解の人がいたり、書かれていたらぜひ教えてください)、アマティとストラディヴァリの師弟関係が明確になっていないことや、また製作スタイルの観察から、私には一般に言われているようにニコロ・アマティとストラディヴァリの間には厳密な師弟関係はなかったのではないかという気がしてなりません。

天才的な技術者が設計図などなくとも楽器を精巧に模倣してしまう例が後世のフランスの製作家ヴィヨームなどでもあったように、ストラディヴァリがその天才的な目でアマティの楽器を盗み見て作ってしまっていたとしても不思議ではありません。

ニコロのもとにグァルネリ・ファミリーの始祖であるアンドレア・グァルネリが弟子入りしていたことが明らかにされているように、ストラディヴァリほどの優秀な弟子であったらその記録が残っていないのはおかしいことと思われます。

ちなみにアンドレア・グァルネリはプロポーションの法則を学んでいたと思われますが、これについては改めて検証してみたいと思います。

皆さんはどう思われますでしょうか。

いずれにせよ、天才の所業を見るのは、雲を仰ぎ見るような楽しい時間でした。