マッテゾンと肩掛けチェロ

昨日、2つの本が同時に届きました。

1984年に1,000部限定で刊行された『Antonio Stradivari in Japan』

学生時代に大変お世話になった本で、昨年この写真集を手がけた横山進一氏が亡くなられとこともあり、手元において改めて勉強したいと購入しました。

今日の主題はもう一つの村上曜氏の邦訳により2022年に出たヨハン・マッテゾンの『新しく開かれたオーケストラ』(1713年)です。

以前より読みたいと思っていたのですが、あれこれ他のことを優先し、遅くなってしまいました。

内容については、山ほど書きたいことはあるのですが、ここでは肩掛けチェロの重要なポイントについてだけ、改めて触れておきたいと思います。

マッテゾンの著作の中にスパッラが現れることはだいぶ前に当ブログにも書いていたように思いますが、バッハの無伴奏チェロ組曲との年代関係の整理をしていませんでした。素晴らしい邦訳本が手に入ったこの機会に、簡単に書いておきたいと思います。

バッハの無伴奏チェロ組曲が作られたのは、主にバッハのケーテン時代(1717年〜1723年)と言われています。しかし、現存する肩掛けチェロの製作家ホフマンが住んでいたライプツィヒにバッハが移り住むのはその後の時代(1723年〜1750年)になるため、バッハがケーテン時代にすでに5弦のかなり小型の低音楽器に出会っていたのかどうかということがしばしば議論されてきました。

しかし、マッテゾンの『新しく開かれたオーケストラ』が書かれたのが1713年とされていますので、バッハのライプツィヒ時代はおろか、それよりもずっと前に肩掛けチェロ(violoncello もしくはviola di spalla)に類すると思われる楽器があったことは明白と思われます。

さらにマッテゾンが活躍したハンブルクはご存知の通りドイツの最北の町の一つで、私自身も幼少期を過ごした思い出がありますが、バッハのいたより南のライプツィヒやケーテンとはかなり離れています。

つまり、バッハが無伴奏チェロ組曲を書くよりも前に、ストラップを使って体に楽器を留める低音楽器はドイツ全土に見られた可能性もあるということです。

こうなると、ライプツィヒの製作家ホフマン以前のスパッラの製作家についても俄然興味が湧いてきます。

とにもかくにも、バッハが無伴奏チェロ組曲をケーテンの時代に書いたにせよ、同時バッハが小型の肩に載せる低音楽器を意識していた可能性は十二分にあるということは、弦楽器を演奏されるすべての方に覚えていただいてよいものと思います。

当工房では来年は少なくとも2台、できれば3台の肩掛けチェロを作ります。注文をいただいたものであり、まだ在庫を持つ余力がありませんが、少しでも早く在庫を持てる体制になるように引き続き努めたいと思います。

村上曜氏の翻訳も世界に先駆けたものと言えると思いますが、肩掛けチェロ先進国に日本がなってほしいと心から願っています!

皆で踊って、笑って、肩掛けチェロを弾きましょう!!笑

追記 : 肩掛けチェロのことを書くと、主戦場を奪われるのではないかとチェリストの方から心配されることがたまにありますが、そんなことは絶対にないと断言できます。スパッラとチェロはお互いに引き立て合うことができる異なる音質をもっています。このことは合奏をを聞いていただければ必ず分かります。ただ、今は圧倒的に小さなチェロが少ないので、当工房ではスパッラを推しているということです。何度もこのことはお話しているのですが、できるだけ多くの方に届くとよいなと考えております。