つくること

久々に誰のためでもなく木を削り、なんと長い間、ただ作るということを忘れていたのだろうとにわかに気づき、驚きました。

弦楽器の製作や修理の世界に入ると多くのことを学ぶことができますが、その一方でただ作るということが意外と難しくなります。

どのような楽器が価値のある楽器か、どのようなスタイルが一般的か、どのようなやり方がより正しいか、どこの誰の楽器をモデルにしているか…そうした知らない誰かが作った価値観に取り巻かれてしまいがちになります。

私自身より良い楽器を作るために、よりよい方法を見つけようと学び続けてきた面がありますが、技芸というものはどこまでも学べばどこまでもよくなるというものでもない側面があります。

同じような音楽を演奏する人がいても、ある演奏は胸を打ち、ある演奏は綺麗でもあまり心に響かないことがままあるように、つくることもまたただ綺麗に作れるというだけでは何か響かないように思います(もちろん、本当に綺麗に作り、響く楽器を作られる製作家もいます)。

今日は独りで、ただ手を動かす中で、置き去りにしていたことを思い出すと同時に何か深く封印してきたものが殻を割って出てくるかのような感覚も覚えました。

 

久々に一切の言説や他の仕事を頭の外に追いやって、ただただ感ずるように楽器をつくってみようかと思います。そのようにしてつくったものでなければ、結局はどこにも届かないようにも思いました。