あの◯◯と呼ばれること

久々に考え事を少し投稿してみたいと思います。

昨日、TAIRIKこと、佐田大陸さんにご訪問いただき、スパッラの試奏の時間をご一緒に過ごさせていただきました。

試奏の前後に、スパッラの歴史的背景を説明させていただきながら、楽器の製作についても簡単にお話させていただきました。

その中で、TAIRIKさんが、「スパッラと言えば髙倉さんというふうになっているのが、素晴らしいですね。私たち演奏家も常に同じようなことが必要です。」とおっしゃってくださり、仕事のあり方についても意見を交換させていただけたのをとてもうれしく思いました。

あの◯◯さんですね、と言われることは実際、個人で仕事をするすべての人にとってとても大事なことだと思います。

しかし、その一方で、一朝一夕でそうした形ができるわけではないということも常々感じます。

私の場合は、たまたまスパッラという楽器が国内外で十分に研究されていない(あるいはごく一部で研究されていても普及していない)ということに目を留めて、私自身のいちばんのモチベーションである大好きな「バッハの音楽に貢献する」ということと、スパッラの性質や状況が一致したことから、現在の仕事としての形を見出しました。

しかし、実は、スパッラに取り組み始めるよりも20年以上前に、イタリアでヴィヴァルディの遺産となるサンタマリア・デラ・ピエタに見つかった楽器群の二次調査に亡き先生とともに行かせてもらったことや、ヴェネツィア〜クレモナ など北イタリアでの調査が見習い先の親方や友人の協力を得てできたこと、インスブルックであったヤコブ・スタイナーの展示会に行けたことなど、当時周りの人たちがほとんど興味を示さなかったバロック時代の楽器について調べて始めたことが、近年になって始めたスパッラ製作の土台となっています。

その意味で、おのおのの人が自分にとって価値あると思えるものを一つ一つつないでいく中で、あの◯◯さんと言われるような仕事にたまたま出会うということではないかと思います。

実際、もしスパッラを表面的にコピーしただけなら、それはすぐに他の人にもできることなので、特徴づけられることはまずないと思いますし、独自性も出せません。

昨日、TAIRIKさんとお会いし、久々に音楽や木工技術とは直接関係はしないものの大切な仕事の側面について、思いを巡らすことができました。

TAIRIKさんはご存知の通り、お父様があの国民的歌手のさだまさしさんです。きっと、「あのさだまさしさん!」と言われることを日常に感じてこられたと思いますし、またそのような中でTAIRIKさんご自身もTSUKEMENや、また近年では水谷晃さんとのユニットなど、他の方にはできない活動を広げて来られたのだろうと思います。

製作家にできることは多くはありませんが、少なくともスパッラについては、「あのスパッラ弾きの◯◯さん」と呼べるような人はまだ国内にはいません(海外ではセルゲイ・マーロフさんなど、また古楽の分野ではクイケンさんなどがおられますが)ので、きっとその可能性を提供できると考えています。また、そのため、スパッラに恋して、これが自分の楽器だ!と心を決めて取り掛かる人が私は今後必ず出てくると思います。

どのような分野でもそうして心を決めて取り組む人が、唯一無二のポジションを得るのはここに書かずとも、歴史が証明するところではないでしょうか。

私自身、スパッラという未知の楽器を売りに出すまでは、何度となく「売れるんですか?」「需要はあるんですか?」と何人もの人に言われたものですが、バッハの音楽への喜びが懐疑的な意見を薄めてくれたと思います。

皆さんの楽しみはどんなことでしょうか。新しい仕事の分野として、スパッラに注目する方々が現れる(すでに現つつあるのかもしれませんが!)ことを楽しみにしつつ、私自身も1台でも多くご注文をいただき、歴史の勉強とともに引き続き製作に勤しみたいと思います。

(写真はスパッラではなく、検証中の大型のチェロ用のバロック駒のデザイン・テンプレート)