ショートネック・バロック・ヴァイオリン

昨日、製作中のバロック・ヴァイオリンに弦を張り、天野寿彦先生に試奏をしていただきました。

そのことを通して、一つ気づいたことがありました。

それは今日見られなくなった太く短いネックに短い指板、今日よりも低い位置の駒のヴァイオリン(もちろんヴィオラ、チェロ、コントラバスも)の可能性についてです。

こうしたバロック初期などに見られる仕様は、その操作性や音域の限界などから、しばしば不便の代名詞として語られますが、そうした言説の多くは奏者の経験をよそに憶測の中で語られているということです。

短いネックが当たり前だった時の感触、制約の中にこそ生まれる深い自由、またそこから飛び出ていく勢いは、便、不便だけで語りうるものではありません。

むしろ不便だからこそ、制約があるからこそ、厳格なルールの中にあっても、音楽が深まることがあると感じました。

何より、その制約をひしひしと感じながら演奏することをおもしろい!と感じて下さる演奏家・表現者の方がいらっしゃるということも感じました。

これらは製作家としての直感に過ぎないかもしれませんが、音楽がなぜ人を感動させるのかというと、奏者自身の感動が響きを媒体として伝わるのであって、それは場合によっては制約の中にこそより鮮明に見出されると思うのです。

音楽は常に奏者から生まれるのであって、万能な楽器が仮にあったとしても、必ずしもなんでも表現できるわけでありません。

1台しか作らないかもしれないと思って始めたショートネックのヴァイオリンですが、来年もきっと作ります。それぐらい気に入りました。