肩掛けチェロ調査道中談義

リューベックからライプツィヒへの道中に、同僚たちと肩掛けチェロ談義をしました。

いろいろなことに話題が広がりましたが、肩掛けチェロの存在を否定する人たちと肯定する人たちの問題についても多く語り合いました。

もはやセンシティヴと言うほど問題ではないので、ここにその内容を記しておきます。

肩掛けチェロは15年ほど前にシギスヴァルト・クイケン氏やディミトリー・バディアロフ氏が、ホフマンの小型の5弦楽器や残された資料を参考に楽器を再構築したところから認知が広まりました。

それ以前にも同型の楽器を作る製作家は散見されましたが、上の二人ほどその認知促進に貢献した人は少なかったように思います。

この肩掛けチェロの再発見とも言うべき時期からほどなく、肩掛けチェロを否定する人たちが現れ始めました。肩掛けチェロは20世紀の産物で、歴史の捏造で、そんなものは存在しなかったという意見です。

私は一応、おそらく存在したであろうと考える立場なので、多少文章に偏りがあることはご容赦ください。

否定をした人で最も影響力があったのは、マルク・ヴァンシュヴィックMarc Vanscheeuwijck氏というアメリカ人のチェロ教師の論説でしたが、彼の否定の根拠になっているが実は、Karel Moens 氏というアントワープのVleeshuis Museumのキュレーターをしていた人の見解でした。

Karl Moens 氏のレクチャーを直接受けたことがあるダニエラ・ガイダーノ(今回の調査旅行のメンバーの1人)によると、Moens氏によると例えばストラディヴァリの楽器は世界に数台しか本物はなく、あとはすべて違う楽器のパーツを組み合わせたコンポジット(合成品)や偽物だそうです。ストラディヴァリの楽器は世界に400台以上はあると一般的に考えられていることから(もちろんコンポジットも沢山ありますが)、Marc Vanscheeuwijckや肩掛けチェロ否定派の見解の論拠がそもそもどのような出発点を得ているのか想像するのは難しくはないでしょう。

Vanscheeuwijckの主張は、肩掛けチェロの存在を示唆する文献については一切ふれられておらず、現存する楽器は19世紀に作られた偽物で、そのような楽器があったとしても音は悪く、いずれにせよこの楽器に必要な2重巻線は1760年代の文献に最初に現れるので、肩掛けチェロは存在しないというのがその骨子でした。

多少なりとも冷静な頭のある人ならば、上の主張が穴だらけであることは分かりそうなものですが、15年前に肩掛けチェロ肯定派の急先鋒であったディミトリー・バディアロフ氏の主張も当時否定派の見解をくみ取るものではなく、またバディアロフ氏の強い態度が否定派の態度をさらに硬直させて、問題がこじれにこじれてしまったというのが、リューベックからライプツィヒに向かう道中に上がった話でした。

それにしてもなぜVanscheeuwijck氏がそこまで肩掛けチェロを否定していたのか分かりません。あまりに論理的でないので、何か感情的な理由があったのだろうかと考えてしまいます。

いずれにせよ、そのため、バロック音楽を演奏する人の中には、残念ながら未だにバディアロフ氏に関係するものだというだけで、話を聞こうともしなかったり、何の論拠もなく、ただ単に情緒的に彼が嫌いだからとか好きになれないからという理由で肩掛けチェロまで否定をしてしまう人たちがいるということも話に上がりました。

ディマ(バディアロフさんの愛称)のことは私は個人的に10年以上前から知っているので、彼の性格を知っていればいろいろ衝突があるだろうなということは分かるのですが、彼の大きな功績を感情論だけで否定してしまうのはやはり残念と言わねばなりません。

もう一つの問題は、J.S.Bachがチェロの無伴奏組曲やそのほかのカンタータなどを小型の肩掛けチェロを使って作曲した、あるいはその楽器のために作曲したという意見が肩掛けチェロ肯定派の見解にあったことです。この問題については、大槻晃士先生がだいぶ明らかにしてくださっており、私自身も大槻先生の意見に従い、ライプツィヒの製作家ホフマンの小型の肩掛けチェロ(最小サイズの肩掛けチェロ)を用いて作曲された可能性は少ないと今は考えています。

しかしながら、サイズの大小はあれ、横持のチェロを想定していたのではないかということや、楽曲によっては明らかに5弦であることなどは明示できると考えていますし、文献などからもバッハの周りに小型の肩掛けチェロの存在が消えるわけではないと考えています。

一方で、バッハと肩掛けチェロをどのように用いたのか、用いなかったのかということを示す直接的な証拠は現時点ではないのも確かです。否定派の見解ではこれがそもそも肩掛けチェロのための曲などないということになるのですが、私はおそらくバッハは肩掛けチェロやチェロ・ピッコロと呼ばれる楽器の定義をそこまで厳密にもっていたわけではないと考えています。なぜならチェロという楽器そのものがその奏法とともに非常に急速に発展していた過渡期にここに語られるすべてがあったと考えるからです。したがってそもそも当時、単にチェロとも呼ばれていた肩掛けチェロで弾いてはいけない曲を定義しきるのも逆に大変難しいと考えています。

また、小型の肩掛けチェロを構築するに必要な要素である2重巻線の存在を示す証拠がまだないため、この点を追求していくこと、2重巻線が歴史に現れたのがいつかということを追求していくことは意義があることと思われます。

道中の話を通しても改めて思いましたが、こうした肩掛けチェロに関する様々なことがあったとしても、オープンな態度で肩掛けチェロに向き合って、謎も含めて楽しんでくださる優れた見識をもった演奏家が日本人に多いのはとてもうれしいことです。

かつて多くの人が(特にヨーロッパで)否定派の見解を勉強もせずに鵜呑みにして、肩掛けチェロから遠ざかってしまったことで、再発見から10年以上の歳月があったのにもかかわらず誰もこれを作ろうとしなかったのは、かえって私にとっては有難いことだったかもしれません。

ただ、このままの状況でよいとも思わないので、これからさらに調査を通じて肩掛けチェロを製作していき、このおもしろい(本当に演奏してみるとおもしろいのです!)楽器を多くの演奏家の方々と一緒に探究していきたいと改めて思います。

(調査メンバーたちと、無事に着いたライプツィヒの聖トーマス教会の前で)