新型コロナウイルスの影響で、果たして無事にドイツに入国できるのかどうか今回ばかりは自信がなかったため、具体的な出発の告知をしませんでしたが、昨日無事にハンブルグ空港のゲートをくぐり、ドイツに入ることができました。
そして、ハンブルグ空港で仲間たちと合流してそのままリューベックに向かうことができました。
今回は私とPaul Shally、そしてAlessandro Vistini とDaniela Gaidano 夫妻です。
もともとPaul と共同で何かしたいねと話をしていたところ、Alessandro とDanilea 夫妻も同じようなことを考えていたため、じゃあ一緒にやりましょうということになりました。
Alessandro はドイツ語ができ、Daniela はガット弦の専門家、私とPaulが楽器製作を生業にしているという混成チームです。
(写真上:リューベックに到着!)
リューベックは、その昔ハンザ同盟(中世後期からの都市同盟)の発祥の地であり、また「バルト海の女王」と呼ばれた繁栄を誇った中心的な都市でした。
ハンザ同盟は歴史の授業で名前が出てくるので、覚えておられる方も多いかと思いますが、12世紀末から17世紀初頭まで400年以上に渡って続いたと言われています。
この町に関係することで、音楽において特に有名なのは、当時20歳だったJ.S.Bach バッハが、ディートリヒ・ブクスフーデの演奏を聴くために当時オルガニストを務めていたArnstadt アルンシュタットという町から約400㎞を歩いて!リューベックに来たということでしょう。
この時、市民の出資によって初めて開かれたコンサートであり、ヨーロッパ中に知られていた「夕べの音楽」にもバッハは居合わせたであろうと言われています。
このあたりのことは、渡邊温子著(アルテスパブリッシング刊)『古楽でめぐるヨーロッパの古都』に詳しく書かれており、私も大変勉強になりましたので、ご興味ある方はお読みください。
ちなみに今回の旅はリューベックからミュンヘンへと向かうので、これは20世紀の作家トーマス・マンの足跡ともいくらか重なるようです。マンの家が当初リューベックにあり、その後ミュンヘンに移り住んだからです。マンの小説は30年以上前にいくつか読んでみましたが、私にはどちらかというと同時代に生きたヘルマン・ヘッセの方が好きであったことを思い出しました。今でもそれは変わらないようですが、またいつかマンの小説も読んでみたいと考えています。
さて、時差ボケがつらいので、早めに休んで調査は明日から開始します。