2019年も残すところわずかとなりました。
皆さんにとっての2019年はどのような1年でしたか。
私にとっては、毎日が予測のできない冒険のような1年間でした。
ささやかですがいつかこの振り返りがこれから独立開業を考えている方や、新たな活躍のチャンスを模索している若い演奏家・製作家の方々への参考になればと思い、記しておきたいと思います。
退職・失職はチャンス
私にとって2019年は3月に勤めていた会社の退職から始まりました。
もちろん1年は1月からですが、実質的に準備はその前々年から始まっていました。その理由はそれまで14年間勤めていた企業の運営する学校が閉校することになったためです。
正社員として、弦楽器の製作と修理を教える学科の責任者を務めさせていただいてきたので、会社に相談し、異動してどこかのお店やリペアセンターで勤めるという道もあったかもしれません。しかしいろいろなことを考えた末に、職を辞することにしました。
辞するというと一見前向きですが、実際には職を失ったも同然でした。退職までの1年は同僚などから「退職してやっていけるんですか?」「ずいぶん思い切ったことをしますね」「よほどうまくやらないとやっていけませんよ」などの心配や、懐疑や、同情の声を沢山かけていただきました。
「やっていけるんですか?」という質問は、たいていの場合、質問をする方もこちらが答えようがないのをおおよそ分かって聞くので、苦笑いするしかなったのですが、内心は「とにかくやるしかない」と思っていました。ただ、私自身、何をすればどうなるという明確な道筋が見えていたわけではありませんでした。
それでも前に進もうと思えたのは、それまで多くの若い人たちと一緒に本当に楽しめる仕事をしようということを夢見て長年学校の講師をやらせていただいてきたので、やはり今度は自分の夢を実現する方向にいかなければ嘘になってしまうと考えたからです。
自分に何ができるか~現実を見つつ、自分のパッションを第一に
そこで、何が自分にできるかということを改めて考えました。
私はイタリアで弦楽器製作を学び、その後、お世話になった先生方のアシスタントを少しはしたものの、国内の楽器店経験や、修理工房に勤めた経験はありませんでした。
あるのは楽器製作と調整の経験だけで、それも学校勤めをした間は実質的に副業が禁止されていたため自分自身の楽器作りはある意味封印してきました。
もちろん、これから先の顧客リストもなければ、お客様になってくださる方の目処も1人もありませんでした。なぜなら、それまでは受講生を相手にさせていただいた仕事だったからです。
それでも、木材と道具を触ることだけはずっと続けきましたので、技術的なブランクは幸いほとんど感じずに済みました。そしてやはり長年自分ごととしてはできなかった楽器製作をこの機会にやりたいという気持ちが強くなってきました。
また、その一方で、単なる楽器製作をやっても意味がないだろうということも感じていました。
楽器があふれている中で何を作るか
皆さんもご存知のように今の日本社会には楽器があふれています。演奏をされる方も大勢います。毎年音大を卒業する人もたくさんいます。
実は、14年間力を注いできた技術学校の就職・離職率は、一般的な音楽大学のそれよりずっとよいものでした。少子化の影響で学校全体の経営が行き詰まり、小さな学科の1つだった担当学科も一緒に終わりを迎えてしまいましたが、スクールの仕事に勤めていたことで、より大きな法人格を持つ音大を出ても職に困ったり、まったく音楽とは違う仕事に就く人がどれだけ多いかということをよく聞き知っていたのです。
そして、音楽を夢見ながら、素晴らしい演奏の力をもっていながら、仕事に限界を感じている方々にも、楽器店や技術者が十分力になれていないことがあるということも感じてきました。
それはなぜでしょうか。いろいろな理由がありますが、1つには楽器があふれ、それによる演奏もあふれ、一見すると同じようなものを素晴らしいレベルで皆が提供するため、大多数の聴衆やそれらを本来必要とする人たちからは違いが見えなくなっているということがあると思いました。
この点をなんとか解決方法を見出して、本当にこれから音楽で活躍したい方々、また今音楽で生きている方々の力になる仕事ができないものだろうかと思いました。
その一方で、自分のパッション(情熱)を犠牲にしたくないという思いがありました。会社勤めには会社勤めの大変さがありますが、そのもっとも大きな難しさは自分のパッションに真正面から取り組むのが難しいということでした。組織が大きくなればなるほど、自分一人の考えでものごとが進まなくなり、よく言えばリスクも減りますが、スピードは落ち、1つのことに熱中して向き合う特質が消えてしまうことがしばしばあります。
そこで、自分のパッションの源は何かと問われれば、それはずっと一貫していたのですが、子どものころから大好きだったバッハの音楽のそばで、その音楽に寄り添える仕事がしたいということでした。このことだけははっきりしていたのですが、それをどのようにすればいいのかはわかりませんでした。
しかし意外にも自分が気づいていなかっただけで、実はバッハの音楽(実際にはバッハに限定されませんが!)に寄り添える種はすでに2017年には蒔かれ、2018年には芽生えつつあったのではないかと今振り返ると感じられます。
偶然の連鎖する不思議
それは、具体的には2017年に10年以上の付き合いのあったオランダ在住の楽器製作家Dmitry Badiarovさんから、「オンラインで楽器製図のレクチャーをやろうと思うけど参加する?」と声をかけてもらえたことでした。
今思ってもなぜそのタイミングで声をかけてもらえたのかわかりませんが、不思議な偶然の始まりでした。
バディアロフさんとは10年ほど前に2年ほど一緒の職場で仕事をし、その後彼が日本を離れてからはSNSを通じてお互いの近況を何となく知ってはいたものの、ときどきコンタクトをとる程度で、仕事での結びつきはこの10年ほどはなくなっていました。
しかし、バディアロフさんが研究されてきた製図法に大きなヒントがあるということはずっと以前から感じていましたので、一瞬も迷わずに手を挙げて「ぜひ!」とお願いをしました。
そのレクチャーに引き続き、やはりバッハの音楽つながりで憧れ続けてきた「肩掛けチェロ」(このブログを読んでくださっている皆様にはもうお馴染みですね!)のプロ製作者向けのオンラインワークショップをやってみようと思うけど続けて参加してみる?とバディアロフさんに問われ、さらに英語を使わなければならないことに一瞬躊躇しましたが(笑)、年会費を払ってこれも迷わず参加することにしました。
実はもうその頃には先行きが見えないことを徐々に様子を感じていたので、背水の陣を敷かれたことも迷いが少なかった理由かもしれません。何か新しいことに挑戦していかなければ、いずれ演奏家の役に立てる仕事はできないという思いがありました。その意味では職が不安定になったことにも感謝しなければいけないのかもしれません。
結果的に2018年はそれまでの学校の仕事と閉校への準備と、初めての肩掛けチェロの製作を休日と平日の夜にコツコツ進めていくことになりました。
初めての肩掛けチェロとは言うものの、基本的にはヴァイオリン属の楽器でしたし、バロック・ヴァイオリンの調査・研究・製作経験も幸いし、理解や技術的な難しさはありませんでしたが、それでも肩掛けチェロならではの未知は山ほどあり、寝不足続きになりました。しかし同時に自分がこれほどまでに楽器作りを渇望していたのかということを実感した1年でもありました。
こうして2019年を迎えるときには、いくつかことは自然と心に決まっていました。
・バッハをはじめとした音楽に寄り添える仕事を続ける
・楽器製作をする
・演奏家の方々の笑顔と活躍の力になるものを提供する
このほかにも細かいことはたくさんあるのですが、そう思うにつれて、だんだんにいろいろなことが自然と決まってきました。
実は工房としている場所は、埼玉県飯能市にある本町診療所の理事長をされている神野くらら先生という芸術活動にとても理解のある皮膚科の先生が貸してくださったのです。
くらら先生には本当に感謝でいっぱいですが、先生に引き合わせてくださった方にも心から感謝しております。皆さんの応援にふさわしい楽器作りをしないといけないなと感じています。
その他にも一見無理だと言われてもおかしくない状況の中でもなぜか道は自然を開けてきました。その一つは在庫ゼロ、顧客リストゼロで、楽器ができていないにもかかわらず、ご注文をいただき始めることができたことでした。
在庫ゼロ、まだ楽器もできていないのに注文をいただく
最初にご注文いただいた楽器はすでに無事お客様の手元に渡ったものの、実はこのブログを書いている今も在庫販売できる楽器はまだ1台もなく、いただいたご注文に応える楽器を作り続けています。
普通、弦楽器店や工房に楽器がなかったら仕事にならないと皆さんは考えると思いますし、私も実際そう思っていました。
もちろん、何もしなかったわけではなく、ホームページを作り、FacebookなどのSNSに日々の作業の様子を掲載することはしてきました。
また、5月にはスペインのランザローテ島でバディアロフさんの主催で行われた肩掛けチェロのミーティングに参加するなどの自己投資もしてきました。
実はこのスペイン研修は70万円ほどの費用がかかったのですが、それでもやらなければならないと思いました。工房を開けたばかりで、顧客リストもない状態で、よく挑戦できたなと思いますが、それを許してくれた家族もすごいと思います。
当時は肩掛けチェロのケースさえもまだ入手できておらず、手製の木製ハードケースをベニヤで作ってスペインに行きました。
このスペイン研修はかかる費用も含めて、清水の舞台から飛び降りる覚悟でしたが、結果的に私の作った肩掛けチェロを第一人者のバディアロフさんに見てもらい、またバディアロフさんの楽器も借りて調べさせてもらい、同僚からの意見ももらうことができ、製作への自信が高まりました。
そして、私自身は最初の注文をいただいたときにとても驚きましたが、報告をしたときに百戦錬磨のバディアロフさんはあまり不思議な様子はなく、「(笑)もちろんそうなるよ、肩掛けチェロを作らせて君より技術がある人がいるかい?」とまで言ってもらえ、とてもうれしくも不思議な気持ちだったのを覚えています。
とは言え、私の技術というのは正真正銘の伝統のイタリア仕込みなので、別の言い方をすると私よりも正確で精度高い楽器作りをする人は山のようにいます。
ただ私は、亡きイタリアの恩師が「楽器は人の顔をように作るし、見るものだよ。全体の調和が常に大事で、細部はその次のことだ。人の目と耳で作るかぎり、どれだけがんばっても人が作る限り完璧な左右対称には決してできないけど、それは人の顔を一緒で、完璧な左右対称は何かかえって不自然な冷たいものになってしまうもんだ。だから左右どちらかを見たときにいつも自分なりによりよくできたなと思う方があるから、それを心にとめて次のを作ればいい。」と何度も何度も話してくれたことを今でも考えます。
そういうわけで(?)私の作る楽器はできるかぎり左右対称にしようとしつつも、決してそのようにはできていませんが、古くは名器たるアマティもグァルネリもストラディヴァリらもそうであったことを覚えていただければと思っています。
話が横に逸れましたが、そのような不思議がいくつも続き、気づくと2019年の終わりには日本でもっとも肩掛けチェロの注文を多くいただけるようになり、海外からも問い合わせをいただき、さらには2020年にも注文が続いているという状況になっていました。
出会い、出会い、出会い
退職という冒険で幕を開けた2019年でしたが、幕開けとともに、素晴らしい数々の出会いも待っていました。すばらしい演奏家と愛好家の方々との出会いです。
本当に不思議なことですが、1人の顧客もなく仕事を始めたことがかえってよかったと今になってみると思えます。
なんの前準備もなかったことで、むしろ出会うお客様を通して鏡のように自分自身の状態と、次にやるべき課題がその都度見えてきたからです。
単に仕事をいただくということ以上に、素晴らしいお客様との出会いは人として自分を省みる機会として、感謝をせずにはいられません。
2019年をこのように振り返ると、やはり感謝の1年だったと感じます。
14年間の経験を積ませてくれた会社、顧客ゼロの状態でも退職を受け入れて応援してくれた家族、オンライングループを通して数々のサポートをくれた海外の友人たち、退職後も変わらずつながりをもってくださった元同僚や友人たち、卒業生の後輩たち、地域の方々にも、ただただ感謝の1年でした。
楽器製作では食べていけない!?という定説
独立開業にあたり、一番の壁だったのが、多くの方が思い込んでいる「楽器製作では家族を養っていけない」という定説でした。
あまりに多くの方がそう言うのですが、1年を振り返ってみるとこれは正しくもあり、間違ってもいると今は思います。
たとえば今年私がもっとも注力した肩掛けチェロという楽器はすでに10年以上前からリバイバルがあり、シギスヴァルト・クイケン氏が取り上げ、ディミトリー・バディアロフさんが作り、赤津眞言先生などの先駆者が日本国内でも取り上げてこられたにもかかわらず、それ以後にそれを継続的に作ろうという製作者はほとんどいませんでした。誰も需要があるとは思わなかったのです。
しかし、それだけでは私が肩掛けチェロを作ろうということにはならなかったと思います。私にとって重要だったのは、日本人の小柄な体形で、楽器を横持ちでバッハの無伴奏チェロ組曲が楽しめる!という点があったことでした。つまり、状況と自分の大好きな音楽へのパッションが重なったということがポイントだったと思います。
もう一つのポイントは、コピーではなくオリジナルの楽器が作りたい!と思っていたことを肩掛けチェロが実現してくれるということでした。なぜなら、ストラディヴァリやグァルネリのようにコピーされ尽くした昔の名器と呼べるものが肩掛けチェロにはほとんどなく、その一方でバッハとの強い結びつきを示唆する史料が残っているという、まさに製作家のクリエイティビティを試される楽器だったのです。
そこで、肩掛けチェロの歴史的なバックグラウンドの調査や情報収取からはじめ、バディアロフさんから経験を分けていただき、また自分でも何台も作り、楽器以上に駒はいくつも作り、検証を重ね続けてきました。
同時に、そのために必須となるガット弦についてもダニエラ・ガイダーノさんをはじめ、多くの方から学ばせていただきました。(ダニエラにも不思議な縁で会いました。)
そうして作りはじめてからも、「(肩掛けチェロに)需要はあるの?(ないでしょ)」という質問は他業種のまったく知らない方からも、また業界のベテランの方からも何度されたかわかりません。
この質問が非常に多かったように、多くの人は「需要があるかないか」ということを判断基準に仕事をしていくようです。当たり前と言えば当たり前ですが、そこに多くの人が楽器製作で食べていけない理由があるように思いました。
需要のあるなしで仕事を判断するというのは、別の言い方をすると、どこかの誰かが創り出した需要や価値にのかって仕事をするということに他ならないからです。
これは一見すると手堅い方法なのですが、裏を返せばクリエイティブな仕事の仕方ではなく、芸術家やアーティスト、真のミュージシャンや製作家の仕事ではないように感じられました。
またクリエイティブでないという点を差し引いて、仕事・ビジネスとしての観点から見ても、需要のあるなしで判断するということは、需要があるという段階ですでにその需要を生み出した先行者の後塵を拝するということで、実は遅すぎると思うのです。
つまり需要のあるなしで判断してから、仕事に取組み、自分のパッションを第一にしないということは、逆に自分を苦しい立場にわざわざ追いやることになるのでないかと思うようになってきました。
私にとっては今回はその鍵がたまたま肩掛けチェロでしたが、おそらく人それぞれに情熱がつながるものがあると思います。そこにたとえ既存の需要がなかったとしても、もしも情熱があるのであれば、マーケットがないということは逆に無限の可能性がその人の前にあるということになると思うのです。
その時に重要なのは、やるということを決めること、決心することに他なりません。多くの人がやりたいと思っていながら夢をいつまでも実現できない原因はそのようなシンプルなところにあるのかもしれないと思いました。
そしてこれは演奏でも、製作でも変わらないことではないかと感じます。
2020年からの展望~情熱を見つけるサポート
情熱が私を導いてくれたように、一度自分の情熱に気づくと、人と比べる必要もなくなり、他の人が気づかなかった道が自然と見えてくるように思います。
情熱に生きるというのはとても不思議なことですが、2019年に多くの方に助けていただいたように、2020年からは私もさらに精進しつつ、できかぎり多くの方が笑顔になれるサポートをしていきたいと思います。
また、2020年は、肩掛けチェロがさらに躍進する1年になると考えています。なぜなら、素晴らしい演奏家の方々、また肩掛けチェロの演奏をしようという方々がすでに現れているからです。
またバロック・ヴァイオリンなどのご注文もいただいており、製作をとても楽しみにしています。
実は「ヴァイオリン」や「ヴィラオ」という誰もが知っている楽器にも誰も目にとめてこなかった点がまだ隠されています。それは昔の名器などをコピーせずに楽器を作れるという可能性です。
ヴァイオリンなどが昔の名器をコピーして作られることは、もはや空気のように当たり前になってしまい、誰も疑問をもっていませんが、私はそこにも多くの方に活躍の場を提供する鍵が眠っていると感じています。これから作るヴァイオリンなどには、そうした失われた伝統、ゼロから音楽とともに楽器を設計する方法を取り込んでいく予定です。
さらには海外の友人たちとのコラボ企画もあり、相変わらず冒険状態で、明確には何がどうなるか予測できないものの(笑)今から来年を想い、ワクワクしています。
もちろん課題はたくさんありますが、演奏家・愛好家の皆様が笑顔になれる活躍をするサポートがしたいという軸は見えているため、そのためにできるかことを一歩一歩見つけていきたいと思います。
今、そしてこれから何かに挑戦しようと思っている方が私のこの1年の冒険を見て、オンリーワンに自分を導く情熱を大切にしつつ、自分と周囲の幸せのために次のステップに飛躍してみようと思っていただけるなら、それほどうれしいことはありません。
またオンリーワンの道を探しあぐねている方は、ぜひご一緒にそれを探ってみたいと思いますし、それができることが個人工房の楽しみではないかと思います。
それでは、皆様にとっても素晴らしい2020年となりますように!