スパッラとチェロ〜アマトーレの言葉より

昨日は天野寿彦先門下の忘年会にて、ご友人に招かれて参加された針谷さんにお会いしました。

実は針谷さんは以前に当工房に冊子、『ガット弦の変遷』をご注文いただき、コンタクトがあったのですが、お会いするのは初めてでした。

もともと大きなサイズのビオラも弾かれている方なのですが、昨日は肩掛けチェロを試奏して下さり、その後で感想をお寄せ下さいました。

その言葉があまりに的を射ていたので、ここに勝手ながら引用をさせていただきます。

「正直、あの小ささでチェロと同じ音域ということに疑問を持っておりましたが、

今回、軽快にソロを奏でる様子、また合奏を充分に支えている様子を目の当たりにし、

おっしゃる通り、様々な可能性をもった楽器であることを認識しました。

また、スパッラの音色はいぶし銀で深みがあり、

決してチェロの代用ではない、独自のキャラクターを持っていることもわかりました。

(勿論、楽器の性能と奏者の技術が揃ってこその話ではありますが)」

私も、針谷さんのおっしゃってくださったように、スパッラは大きなチェロの代用には決してならないものの、逆に大きなチェロにはない楽しみ方も提供できる、いわばそれぞれに別の味わいをもった共存できる楽器だと考えています。

一つの音域の中に、様々な種類の音があることのおもしろさだと思うのです。

このスパッラが持ち込むおもしろさを一握りの素晴らしいプロ奏者の方々だけでなく、針谷さんのような深いアマトーレ(イタリア語で文字通り愛する者…アマチュアの意)として音楽文化を支えている方々に発見していただくことで、さらに多様で豊かな響きが生まれてくるように思います。

古代中国の時代から、音楽は社会の縮図、その時代の現し身と言われます。音楽が多様で豊かになるほど、社会もまたそうなると思うのです。

そして、アマトーレ(アマチュアという言葉より、アマトーレとい言葉の方がアモーレ愛するという言葉を想起しやすく、直接的で好きです)の方が何かを見つけるこのような瞬間は本当に楽しくて仕方ありません。

人の気づきや発見というのは、当たり前ですが、その人にしかできないことなので、発見する人のそばにいることで、その感覚が伝わってくることが、作り手である自分に新たな感動を与えてくれるからです。

音楽は玄人、素人関わらず、アマトーレ…愛する者が作る文化だと改めて思います。

針谷さん、本当にありがとうございました!