楽器における手頃な値段とは? 〜楽器に選ばれるということ

手頃な値段とは何かと考えてみると、人によって捉え方は様々で、はっきりとしたボーダラインがないことに気づかされます。

とりあえず何でもいいから買って始めてみようという場合でさえ、量販店のお店の方が勧めるものの中で、相対的に価格が安い量産品を選ぶ方もいれば、ネットで無調整の楽器を購入され方もいれば、作者の顔が見えているしっかりした手工品を選ばれる方もいます。

しかし量産品と、手作りの比較的値段の高い楽器との間に構造的な大きな違いがあるかというとないので、大多数の方にはその差が非常に分かりにくいものとなっています。

ただし、こちらから楽器を買われる方を見ていると明らかな違いがあることが分かります。

楽器に限りませんが、安いものがいいという指向性で買い物をする人は、よいものを見極めて適正な価格で買おうという人とは決して交わらないように見えるのです。お店で交わらないというだけでなく、おそらく社会生活においてもほとんど別々の世界で暮らしているのではないかと思えるほどに接点がなく、まるで見えない壁があるようにさえ思えます。

したがって、同じような名前の商品を扱っているにも関わらず、お店や工房によってそこに足を向ける層は不思議と異なります。

値段が高ければいいということはありませんが、安い買い物をしようという人と、自分には高価だけど少し背伸びをしてでも本当に気に入ったものを買おうという人では、実は手に入れた後の成長も大きく大きく(!)違います。

なぜなら安かったり、安売りで手に入れてしまうと、安かったからまあこんなもんだろうという扱いを自分と楽器に対してしまうことが非常に多いからです。まさかと思われるかもしれませんが、驚くほど多いと感じます。

その逆に、自分には困難ではたから見ても大きな投資をした方は、自分も楽器もそれまで以上に大事にされるので、日々成長し、素晴らしい成果につながることが珍しくありません。楽器を手に入れることが、思いもよらないほどの大きな自己肯定感を引き出し、見えていなかった大きな成長につながるケースです。

昔から、類は友を呼ぶと言いますので、懸命に楽器の質を見極めて購入しようとしても、あたかも楽器が所有者を選ぶが如く、その時の購入者にあった楽器が自然と現れるように思います。そのため、楽器選びにおいて大切なのは、楽器を選ぶ審美眼を養うことに取り組む以上に、現状の「自分自身に取り組む」ことを通して、自らを高めていくことではないかと感じます。そうすることで、これまで交わることができなかった尊敬すべき人々と交わり、審美眼はエキスパートほどは育たなくとも、楽器を一緒に選ぶことができる信頼すべき人が現れたり、楽器とともに成長してくれるかけがえのない人の縁が現れたりするものだからです。

皆さんにとっての「手頃さ」は、果たして皆さんを成長させ、皆さんと皆さんの周囲の人々に新たな可能性と思いもよらぬほどの幸せなワクワクする時間をもたらすものでしょうか?

手頃さは、結局「今の自分のレベル」でしか現れないので、成長実感という幸福感を最大限に味わうことは難しいように思います。また、自分のレベルを超えた縁は決してもたらしません。

手頃感を求めることは日常ではわるいことではありませんが、人生においてほとんどたった一度の買い物であり、後世にまで引き継げるもの(たいていの楽器は少なくとも200〜300年は保ちます)を買う時にまで単に手頃であることを求めると、結果は語るを待たないでしょう。

どうして200年、300年、400年の時を超えて大事にされる楽器とそうでないと楽器があるのか、どうして成長して思い描く人生を送れる人とそうでない人がいるのか、自分自身に取り組んで自らが勝手に引いた手頃感というボーダラインを超えたことのない人は、一生その理由が分からないかもしれません。

その意味で、当工房はただ楽器を作るだけでなく、皆さんとともに成長することで思いもよらない素敵な縁を運ぶ場所でありたいと思います。そしてそのためには、私自身が何よりも自らに取り組んでいきたいと思います。