サーキュラー・エコノミーと弦楽器

最近、広告などでサーキュラー・エコノミー(Circular Economy) という言葉を目にすることが増えました。循環経済と訳されますが、有限な地球資源を循環させて無駄なく使いながら、経済発展を続けようという考え方のようです。

これからの若い人々や子どもたちの将来を考えるに合わせ、地球環境の先行きに配慮できる経済システムを構築しようとする動きがあるのは、素晴らしいことだと思います。

特に、環境問題にまったく興味がない人でも、安いものを買うなどという従来の購買選択をしているだけで、自然と環境に配慮できるとしたらそれほどいいことはありません。すべての人が環境に興味を持つようになることは夢物語だろうと思われるからこそ、意識の高低にかかわらずにすべての人が自然と参加でき、環境改善に関わっていける仕組みを社会として取り組むことはとても重要に思われるからです。

弦楽器はそもそもヨーロッパという地域社会の中世やそれ以前からの循環経済の中で生まれた楽器でした。そのため、弦楽器の源流を辿り、本物の楽器を作ろうとすればするほど、循環経済というものが空気のように当たり前であった昔の知恵を用いざるを得なくなります。

別の言い方をすると弦楽器が何百年も生きてきたのは、その中に循環経済を内包しているからだと思いますし、本質がそうである以上、弦楽器はこれからも浮世の中でずっと生き続けることができると思います。

機械などは今、どれだけ新しいものを買ったとしても50年後、100年後には古くなってしまうと思いますが、弦楽器は自然環境と循環していた頃の人々の生活のささやかな余剰の中から生まれたものなので、金融商品のように扱われるようになってしまった一部の弦楽器の価格価値が持続できるかどうかは別として、人々の喜びと平安に寄与しうる弦楽器はこれからもずっと残るだろうと思います。

車などは先祖が使っていたものを贈られてもどれだけ修繕費がかかるか分からず、機能も最新のものに及びもつかないため、場合によっては譲られても迷惑なだけですが、楽器は一度良いものを買えば何代も機能的価値を失わずに代々使い続けることができるということです。

ヴァイオリンなどは富裕層の持ち物や習い事と一部で思われているフシもありますが、浪費ではなく、長く価値を持ち続けるものを購入し結果的に安い買い物をしたという認識ができる人々が買ったからこそ現在そのように見えてきているだけで、いつの時代にもヴァイオリンは賢いお財布の使い方ができる庶民の味方であることには変わりないと思います。

自分の子どもや孫、あるいは応援してあげたい若い人たちのその先の世代まで残すことができるものに倹約をしてお金を払うから、あるいは単なる目先の浪費にお金を費やすか…。

欧米の優れた演奏家にユダヤ人が多いのは、国を持たない民族であったユダヤ民族が、どこに行っても価値を持ち運べるようにヴァイオリンを大切にしたからとも言われますが、そんな話もうなずける気がします。

話が飛び飛びになりましたが、サーキュラー・エコノミーが注目される中で、弦楽器に限らず昔の人々の環境と調和する生活の知恵が多く見直されてほしいなと思います。