ガット弦エキスパートのDanielaから話を聞く中で、ガット弦作りの芸術(あるいは高度な職人技)が、ほとんど失われかけている背景には実にいろいろな要因があることを知りました。
詳しくは7月に開催されるセミナーの中でも、彼女が説明してくれるでしょう。
この有様は、日本で失われかけている伝統芸能の姿と感じます。
何年も前のことになりますが、琵琶湖周辺で獲れるクマネズミ(一説ではより体毛の長いドブネズミ)の背中の毛から獲れる毛によって作られる筆が、琵琶湖や周辺河川の護岸工事などでネズミの毛が荒れるようになり、筆が作れなくなり、その結果として、輪島塗の蒔絵筆が手に入らなくなり、ついには輪島塗の伝統存続に影響が出ているということをテレビのドキュメンタリーで知りました。
(参考 : http://ujsnh.org/activity/essay/wajima.html )
ガット弦も、近代的な「衛生」環境を作らなければならないというもっともらしい旗印のもとに追いやられた側面もあるようです。
しかし、中世より近代、近代より現代の方が衛生環境は整備されているにもかかわらず、環境破壊は増加の一途をたどっているのはなぜでしょうか?衛生環境の悪かったはずの中世の方が、持続可能性があり、環境に優しかったのはなぜでしょうか?
伝統芸能の衰退から、「衛生」というものがいかに人間本位の考え方であり、またもっと言えば経済本位、先進国本位の考え方でしかないということが見えてくるように思います。臭いものには蓋をして、綺麗なところだけを扱いたいという気持ちは分かりますが、あまりにもそれが強すぎると自分の足元さえ危うくしてしまうように思います。
矛盾を指摘することは誰にでもできますが、それを乗り越えるアクションはまた別のものです。楽器製作も内奥に踏み込むと、常に矛盾を抱えながらの仕事ですが、ただ経済的な要求に合致していくだけでなく、本当に今私たちが仕事を通じて考えるべきことというのは何だろうかということを、何度もよく考えてみたいと思います。
(写真は実家から届いた梅(杏??)…記事とは関係ありません)