Dmitry Badiarov さんからデザインを学んで以来、楽器を再び作りたいという気持ちがこれまでとは違うところから湧いてきて、一人静かに木を彫ることを楽しんでいます。
デザイン(設計)が間違いなく自分だけのものになると、他の人と比べる必要はなく、自分にしかできないことなので、気持ちもとても楽になります。
そもそも現代の製作家の多くはすでに昔の製作家よりも精度の高い木工技術を持っているので、いたずらに精度を追求していっても昔の製作家を超えることになるかは分かりませんし(すでに超えていると言えば超えている)、そこに注力すべきかというと少し違うのかなと考えたりします。
実際、多くの市場にあるヴァイオリンはコモディティ化してしまっており、現代の弦楽器製作者はそのためにとても苦労しています。わずかな違いを拾ってはそれが自分のスタイルだと言わなければならず、その根拠も多くは技術を習った先生から引き継ぐもので、自分から発することができるものは瑣末なところに限られると感じられます。もちろん、板厚やアーチの作りを瑣末なこととは言えませんが、それでもデザイン方法をBadiarovさんから教わるまではどこか借り物の中に住んでいるという感覚がぬぐえませんでした。本当に感謝しています。
自分の耳から音を聴いて、楽器をデザインしていくと、当然一人一人の耳は違うので、別の調律師に頼むと同じピアノの音にならないのと同じように、楽器が1つ1つその基礎から個性を帯びてきます。
以前、養老孟司さんと古武術家の甲野さんが対談をされた記事の中で、人の個性とはその人の身体に他ならないということが書かれてましたが、楽器作りにもまさにそのような側面があるのではないでしょうか。