音楽と詩と

毎日、平穏な心持ちで過ごせればいいのですが、なかなか人生そういかない時もあります。

そういう時は、静かに過ごしたり、音楽を聴いたり、詩を読んだりして、時間をしばらくやり過ごすと、時間が砂浜に書いた文字を消すように寄せては引いて寄せては引いてを繰り返しながら、徐々に心を静めてくれるように思います。

今日は、新潮文庫に収められている、ドイツの詩から、一つを読みました。高校生の時から、何度この短い文章を読んだか分かりませんが、自分でも御しにくいこの心を少し冷やしてくれるような詩です。

「私は星だ」

私は大ぞらの星だ。

世界を見つめ、世界をあなどり、

自分の熱火に焼け失せる。

私は、夜ごとに荒れる海だ。

古い罪に新しい罪を積み重ねて、

きびしいいけにえをささげる嘆きの海だ。

私はあなた方の世界から追われ、

誇りに育てられ、誇りにあざむかれた。

私は国のない王さまだ。

私は無言の情熱だ。

家ではかまどがなく、戦争では剣を持たない。

自分の力のために病んでいる。

今日は同僚から、「高倉さんは業界の流行とは違う方向に行きますね」と言われました。確かに誰もが頷くようなメジャーな路線にいることを嫌う天邪鬼なところがあることは自覚しています。でも、わざわざ意味なくニッチを狙っているわけではなく、どちらかというと、「本質的に重要なことは何だろう」と考えているうちに、気づくと一人でトボトボ歩いているという感じなのです。なので、自分では比較的正道を探しているという気でいるのですが、どうも側から見るとそうではないのかもしれません。

でも、仮に皆が同じ方向を向いて、同じことを志向していたら、今のような多様な楽器文化と音楽は生まれなかったと思い、またこのような自分も誰かの礎となり、一粒の種となるのだろうと自分を慰めることにしています。

もう一つこういう時に勇気をもらえる言葉があるのですが、こちらはお釈迦様の言葉だそうです。無宗教であっても、心に刺さるものがあります。

犀の角のようにただ独り歩め。

シンプルな言葉ですが、ああそうあろうかなと思わされるものがあります。

このような夜は、同僚たちと道を別けて、帰路に着いてから、静かに過ごすのがよいようです。

昔の詩人たちが心の友となり、饒舌なおしゃべりに疲れた心を夜の空気の中で冷やしてくれます。