弦楽器作りだけをしていてはいけない

昔、R.Scrollavezza レナート・スクローラヴェッツァ先生に口酸っぱく言われたことの一つで、いつも心に留めていることがあります。

それは「いい楽器を作りたいのなら、楽器作りだけをしていてはいけない。美味しいものを食べ、歴史ある建物を見たり、家具を見たり、絵画を見たり、様々なものを見て感じとらなければならない。」ということです。

実際に知れば知るほど、弦楽器の造形の基本は自然と歴史の中にあるということを感じます。

昨夕はそんなことを思い出しながら、地元の高麗神社脇にある高麗家住居跡に枝垂桜を家族で見に行きました。もう盛りは過ぎ、あと2-3日もすれば散ってしまうだろうと思われましたが、美しい佇まいを見せてくれていました。

自然の造形が楽器作りの基本であればこそ、イタリアで学んで日本に戻ってきた私の楽器に、日本の風土から来る美意識が入り込んでくるのは防ぎようがありませんし、それはそれでよいと思っています。その一方で、三つ子の魂百までと言われるように、幼い頃のベルギーやドイツで過ごした記憶も私自身の骨格として楽器作りの中に現れるだろうと思っています。

一人一人バックグラウンドの違う製作者が、その人の生まれ持つ手の大きさ、体の使い方と合わせて、過ごしてきた世界から受け取る恩恵を楽器作りの中に注ぎ込む過程は常に興味深いものがあります。どの楽器も、人の顔のように、似ているようでいて一つとして同じものはなく、1つ1つが個性的です。それが分かると、音楽だけでなく、楽器を見ることも楽しくなります。

スクローラヴェッツァ先生がよく話してくれたことがもう一つあり、それは

「楽器を見るときは、人の顔を見るように見なさい。人の顔はぱっと見ればその人の特徴がすぐに見て取れるように、楽器もそう見なければならない。最初から楽器の細部だけをじろじろ見るような見方はおかしい。」

ということでした。

本当に大事なことを教わったなと何年経っても感じます。