Bach賛歌

バッハの音楽になじみがないと思っている方にも耳を傾けていただきたいと思って書きます。

333年前の今日、1685年3月21日に後に音楽の父などと呼ばれるようになるJ.S.Bach ヨハン・セバスチャン・バッハが生まれました。

私が弦楽器製作に入ったきっかけは子どもの頃からバッハの音楽が好きだったからだと前に書きました。これから先、千年行き続けるであろうバッハの音楽に仕える仕事がしたかったのです。バッハの音楽がなかったら、私は弦楽器製作家にはなっていなかったと思います。

子どもの頃からというのは中学生ぐらいの時のことなのですが、その頃からバッハが好きだったと話すと、変わった人だと驚かれたり、あるいは少し距離を置かれたり(笑)することがあります。たまたま子どもの頃にピアノを習えたおかげで、バッハの音楽に触れる機会があったためなのですが、変わり者であれ、何であれ、幸運であったとは思います。

ただ、私のバッハが好きというのはほとんど子どもが弾くような小さな作品や、1つの楽器だけで演奏されるようなシンプルなものにかぎられます。

音楽の授業ではブランデンブルグ協奏曲のような大曲が紹介されることが多いように思いますが、なぜか大がかりな曲はきらびやかに感じられすぎて、逆に苦手な場合が多いのです。きっと大曲の方が好きな方や、分け隔てなく好きな方もいると思いますので、大曲の良さを語るのは別の方に任せたいと思います。

さて、なぜバッハになじみがなかったり、苦手に思っている方に読んでいただきたいと冒頭に書いたかというとやはりバッハの音楽はいい!特に小品はなおいい!と私が思っていて、お勧めしたいからです。

もちろん、私もあまり耳なじみのない音楽があるように、すべての人にバッハの音楽が届くとは思えませんが、それでもまだそのよさにふれたことがない方には、バッハをぜひ聴いてもらいたいと思います。

私にとってバッハの音楽は、どれだけつらい時にも聴くことができる唯一の音楽です。

音楽はちょっと元気がほしいなあという時には効いたりするものですが、本当につらい時には音楽は聞けなくなります。でもそのような時でもバッハの音楽だけは、その現実の中で、そのままに聴くことができるのです。

初めてその経験をしたときに、ジャンルにかかわらず多くの音楽は実は幸せな時のための音楽であって、バッハの音楽だけが自分に寄り添い立っていると感じました。

なぜバッハの音楽がそうなのかはわかりませんが、私が音楽から感じられるのは、バッハの生きていた当時は今のようには社会がなっておらず、それゆえに人々の日常の中に生死が常に隣り合わせにあった時代だったのではないかということです。生が、同じ瞬間が2度と巡り来ることのないということの切なさの中で、いやおうなしに輝きを放つことをバッハが捉えていたように私には感じられます。

実際には、私にとってのバッハの音楽にあたるものがきっと、それぞれの人にあるとは思うのですが、少なくとも私にはそう感じられたことから、なんとなくバッハ気になるなと思っている方には、お勧めしたいと思いますし、それが大げさに言えばたぶん私の使命なのではないかと勝手ながらに思います。

ちなみにバッハにかぎりませんが、音楽を本当に親しく感じる一番よい方法は、できることならば歌ったり、演奏をすることです。もちろん、聴くだけでも最高なのですが、もし演奏をしてみること、演奏に挑戦してみることができるようであれば、1つ1つの音をかみしめて、心に沁み渡らせることができます。その喜びをプロの人だけのものにしておくのはあまりにも惜しいものです。

ぜひ演奏をしてみましょう。そして時に、音楽を愛し、音楽に愛されているプロの方や上手な方に教えてもらえばよいのだと思います。

でも、バッハの音楽などは(このようなことを言うと叱られそうですが)、独学で奏でていても心にしみ込んでくるのです。だからまず何よりも弾いてみてもらいたいなと思います。教えてもらうのはその後でもいいぐらいです。むずかしい?そんなことはありません。実は誰にでも音は出せますし、少しずつ上手になるのがまたおもしろいのです。ぜひ、人生の中で一度は楽器を手にとっていただきたいと思います。

最後はいさぎよく宣伝で締めくくりたいのですが、そのためにずっと楽しめるすてきな楽器が必要であればぜひ!私に相談してください♪

追記:音楽について書きましたが、音楽のある時間と同じぐらい、私にとっては畑の中や自然の中に立った時の、音のない時間も大事です。畑仕事もバッハの音楽と同じぐらいお勧めです。